安住院の歴史について



(寺歴)

天平勝宝年間(749〜756)名僧「報恩大師」によって禅光寺は創建されたとされ、大師が建立した備前48ヶ寺の一つであり、安住院はその本坊にあたる。
 創建後、栄枯盛衰を繰り返すが、延喜7年(907)醍醐寺の僧「聖宝」により第1の中興をなす。次に応永2年(1395)「増吽」僧正が遊践して第2の中興をなす。
 しかし、文明10年(1478)火災に遭い仁王門を除く全ての堂宇を焼失。翌年本堂は再建されるが隆盛はなく、慶長6年(1601)新しく入府した岡山城主・小早川秀秋公が願主となって本堂を再建した。
 戦国時代には宇喜多秀家公・小早川秀秋公、江戸時代には池田光政公を初め池田家累代の大名からの庇護により、山内に十数ヶ寺の塔頭寺院を存続させ、この地方における真言宗の中心的勢力として栄えた。

秘仏本尊(千手観世音菩薩)は、報恩大師が平井の浜で海上に光る霊木を発見され、これを彫刻して本尊にされたと、伝えられる。

◆歌人・与謝野鉄幹の安住院滞在

 明治時代の歌壇で活躍した歌人・与謝野鉄幹が、明治19年(14歳)ごろ、中学受験のため一年余り安住院に寄寓した。当時の住職「和田大円」僧正は鉄幹の兄であった。

◆会陽(裸祭り)

 安住院の会陽(裸祭り)は、歴史が古く、記録によると慶長6年(1601)より裸体になったとあり、明治3年まで続いていた。

◆竜の舌

 竜の舌という宝物があった。これを龍王堂の古池で洗うと必ず雨が降ったと言われており、この古池(清泉)は瓶井山の語源ともなった。

◆内田百けんの墓

 本堂から多宝塔に上がる途中に、「阿房列車」でも知られる岡山生まれの文学者、内田百けんの墓がある。
<重要文化財>
本堂 岡山市重要文化財指定
多宝塔 岡山県重要文化財指定
仁王門 岡山県重要文化財指定
毘沙門天立像 岡山市重要文化財指定
伝聖観音菩薩立像 岡山県重要文化財指定

(→安住院の建物) (→安住院の境内)

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