ちょっと一息<現代の法話>

・ みんなで幸せな長寿を! -----------------(平成23年1月)
・ チェンジをするのは? --------------------(平成22年1月)
・ いまだ、かつて有らざる! ----------------(平成21年8月)
・ 子供を教え、育てるには! ---------------(平成21年1月)
・ 地球を冷たく、心は温かく! --------------(平成20年8月)
・ 空気は読めますか?・・・ -----------------(平成20年1月)
・ メタボリック、心・・・・・ --------------------(平成19年8月)
・ 団塊の智慧と知識 ----------------------(平成19年1月)
・ 栄光に向かって・・・! --------------------(平成18年8月)
・ 読み、書き、・・・! ----------------------(平成18年1月)
・ 地球にやさしく -------------------------(平成17年8月)
・ 記録より記憶に! -----------------------(平成17年1月)
・ お宝を発見? ---------------------------(平成16年8月)
・ 笑顔をパチり! -------------------------(平成16年1月)
・ 癒し系のお大師さん! --------------------(平成15年8月)
・ 借りた物は、返しましょう! ----------------(平成15年1月)
・ グローバルな「ものさし」 -----------------(平成14年8月)
・ 家族でメル友? -------------------------(平成14年1月)
・ パソコンって何でしょう? ------------------(平成13年8月)
・ I(いつも)T(楽しく)革命 ------------------(平成13年1月)
・ @メールで恋文を ------------------------(平成12年8月)
・ 私の背番号は・・・?  ---------------------(平成12年1月)
・ カーナビはお大師さま --------------------(平成11年8月)
・ 世紀末を生きぬくには --------------------(平成11年1月)
・バーチャルな人生 ------------------------(平成10年8月)
・インターネットの仏さま ---------------------(平成10年1月)
 ・ 携帯電話はお持ちですか ----------------(平成9年8月)




携帯電話はお持ちですか             (平成9年8月)

 ある法事の席で、全員が揃い、住職の読経が始まり暫くしたとき、突然「ピピピピピ・・・」と何処かでけたたましい呼出音。多くの人が上着や鞄に耳を傾け、ざわざわ。そうです、携帯電話の音です。皆さん、法事では携帯電話の電源は切りましょう。折角の仏様ご先祖様の供養も台無しです。すると、「お寺さんの経袋の中で何か鳴っていますよ」「おっと失礼、坊さんには必需品な物で???」
 携帯電話をお持ちでない方も、新聞などで携帯電話の氾濫はご存知のはずです。歩きながらはともかく、電車の中やレストランで傍若無人に話す姿は嫌なものです。その内、携帯電話専用車両や、喫煙席ならぬ携帯電話使用席もでてきます。更に、自動車を運転しながらの電話、事故を起こして当然です。千手観音様ではないのですから。
 電話を使用しておられる方は、忙しいとか、便利であるとか、理由をいろいろ付けます。しかし、他人の迷惑になってまで使うほどの仕事を本当にしているのでしょうか。あなた一人が一時間いなくたって、会社は何も変わらりませんよ。ただ、自分の存在を確認したいために、電話をしているのではないでしょうか。誰かに頼りたいのに孤独を望み、その助けが携帯電話なのかもしれません。  実は、全ての人が素晴らしい携帯電話を、心の中に持っています。他人に迷惑など与えず、何処にいても何時でも、たくさんの仏様と話が出来るのです。でも正しく使いこなすには、心の掃除が必要です。皆さんの心の中は煩悩という埃でいっぱいなのです。
 忙しい現代社会の中では、多くの人は、心の豊かさを忘れてしまっています。山間のお寺で一人静かに自分を見つめ、生きていること、そして仏様に、感謝することが、必要なのではないでしょうか。人それぞれの方法で、心の掃除をして下さい。その時は、くれぐれも迷惑な携帯電話は持っていかないように。

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インターネットの仏さま              (平成10年1月)

 みなさん、もうすぐお宅のテレビで好きなお寺にお参り出来ますよ。更に、もし望むならば、法事のお経も大丈夫。好きな時に、ちょっとボタンを押すだけ。当然お墓参りも、マウスを操作してご先祖様のお墓の前に。そして、お宅の檀那寺からは、「今年の夏の盆経参りは、インターネットで行います。必要な時にご覧下さって、お布施を電子マネーでお送り下さい」と電子メールが届きます。
今、世の中は、マルチメディア時代と言われ、インターネットという言葉が叫ばれています。世界のあらゆる場所のことが、あっという間に目の前に現れ、様々なことを知ることが出来るようになるのです。 何と素晴らしいことでしょう。
でも、本当にそう思われますか。ある特定の方にとっては、その通りかもしれませんが、情報だけで何を満足させるのでしょう。
「私は、御仏壇に毎日手を合わせ、檀那寺の和尚さんのお経を聞き、お寺にも自分の足でお参りするよ。そんな物なんか関係ないよ」と考えられてる方、あなたは大丈夫でしょう。でも、あなたもそんなに長くはこの世にはいられませんよ。あの世からお迎えが来て、その後。ファミコン大好きのお子さんやお孫さんが、どんな供養をして下さるか。先ほどの話も、まるっきり夢物語ではありません。
最近は、他人のことなどお構いなしの風潮で、自分のことばかり考えています。家族みんなが集まってご先祖様のことを偲び、みんなでお寺にお参りして仏さまに手を合わせ、和尚さんの話を聞くことが、大切なコミュニケーションの一つなのです。いろんな人のことを思いやる心、それが、仏さまの教えです。それなのに、一人一人勝手にテレビの画面に向かって「ぶつぶつ」では、仏さまも困ってしまいます。
インターネットに出てくる仏さまも、やはり仏さまです。でも、それは皆さんの心にふれて、本当に光り輝くのです。その心を磨くのも皆さま自身なのです。

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バーチャルな人生          (平成10年8月)

 ある電機会社のショールーム。壁に大きな水槽があり、中では熱帯魚が悠然と泳いでいます。それが最新鋭のテレビであることには、誰も気づきません。猫までが跳びかかろうとするCMもご記憶にあるかも知れません。
 仮想現実バーチャルリアリティーとか言って、居ながらにして、様々なことが体験出来る装置があります。遊園地の3D劇場での映画体験だけでなく、飛行機のパイロットになった雰囲気で世界各地を飛び回ったり、海底深く潜り鮫と戯れたり出来ます。素人の方が、エベレストの山頂からの眺めを、簡単に味わえることは凄いことです。また、それがきっかけになり、登山家を目指すこともあるかもしれません。
 しかし、それらの装置では自然の生命の営みというようなものは感じられません。大自然には予想不可能なことがいっぱいあるのです。また、他人との肌の触れあいもありません。恋人と楽しく過ごすコンピューターもありますが、あくまで機械と自分の頭の中だけの世界で、嫌になったら新しい画面に切り替えてしまえば終わりです。
 現在一日中、誰とも親しく話さず生活する事も可能です。会社で自分の仕事をし、コンビニで買い物をし、家に帰ってテレビに向かう。家族や友達がわずらわしく思う人たちが増えています。孤独が好きだと思いこみ、一人でいることが自由だと錯覚しているのです。そして、仮想現実の世界に浸りきって、本当の世界、いや本当の自分を見いだすことが出来ないでいるのです。
 人生では、思い通りにチャンネルを変えることは出来ません。自分で悩み苦労して歩いて行かねばならないのです。苦しみの中から喜びを見いだし、仏さまに感謝する。
 そのような生活が送れるよう考えて見て下さい。決して難しいことではありません。まず自分の足で歩くことです。そして、様々な出逢いを大切にしましょう。

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世紀末を生きぬくには             (平成11年1月)

 今年は西暦1999年、来年は2000年ということで、世紀末だとか新世紀だとか騒がれています。
ところで、皆さんは西暦の意味はご存知でしょう。そう、イエス・キリストと言われれるキリスト教の開祖の方の御生誕を基準にしています。この年についても諸説あるそうですが、ヨーロッパ・アメリカ等で広まり、四桁で表される数字なので扱いやすく、今では、世界標準の年号になってきています。特にコンピュータでは得意のはずなのですが、2000年と1900年とを区別できない計算機が多くて困っているとの、新聞などの情報には驚かされます。
ですから、世紀末に異変や災いが起こる、あるいは二十一世紀は素晴らしい時代になるとか、キリスト教の関係の方は大変なのです。でも、お大師様の御誕生で考えますと、今年は1226年ですから、どのなのでしょう。日本人は何でも取り入れ自分の物にする国民ですから良いのでしょうか、昔から中国や日本でも年によって吉凶を占うことは盛んです。迷信と分かっていても、大安や友引は気になります。実際に自分一人の力ではどうすることも出来ない状況もありますし、科学では解明されていない現象も存在します。科学とは百人いればその全ての人が同じ結果を導くことの出来る学問ですから、未知の部分はまだまだ多いのです。そこで、占いに凝ったりする一方で、宗教に救いを求める訳です。
確かに、仏さまの力を信じ頑張る事は大事です。でも頼りきっていることはありませんか。お大師様でもお釈迦様でも厳しい修行の後に悟りを開かれ、仏教を広められたのです。凡人の我々が、努力もしないでただ頼るだけで、お大師様に救っていただけるでしょうか。手を差し伸べようもないと、困っておられるかもしれません。
是非、自分なりの努力を考えてみましょう、この西洋の世紀末を乗り切るために。

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カーナビはお大師さま              (平成11年8月)

 皆さん、カーナビゲーションをご存知でしょうか。車などで自分の場所が地図上に現れ、目的地まで案内してくれる、素晴らしい装置です。最近はお節介になり、目的地までの最善の道筋や、曲がる交差点の場所、さらには渋滞情報まで知らせてくれます。本当に大きなお世話ではないでしょうか。せっかちな人や方向音痴の方には、是非必要なもので「ここは何処」なんてことはなくなります。
確かに車は目的地まで人や物を運ぶ道具かも知れませんが、これでは道のりを楽しむ工夫がなくなってしまいます。
四国霊場で歩き遍路を経験された方は、よくお分かりでしょうが、八十八ヶ所のお寺にお参りすることだけでなく、その道中の辛さと同時に楽しさがあり、道縁のお地蔵さんに足を止めたり、名もない草花に心を洗われたりします。また、お接待の方々だけでなく、色々な人との出会いがあります。道を間違えた時に丁寧に教えてくれる子供に感謝したこともあるでしょう。
こんな時、カーナビゲーションだったらどうでしょう。目的のお寺まで間違いなく、しかも素早く案内してくれます。さっと拝んで、はい次のお寺へ。これでは背中に書かれた、『同行二人』の意味がちょっと変わってきます。お大師さまはいつも優しく見守ってくださるかもしれませんが、『ちょっと待て。そんなに急いでどうする』なんて声が聞こえそうです。そうです。四国遍路はお大師さまに導かれて行く旅でなのです。どのような旅になるかは誰にも分かりません。
人生も同じ事ではないでしょうか。今の世の中は目的達成のことしか頭になく、その過程は問題にならない。それでは、人が生きていく人生とは言えません。のんびりと自分の足であちこち道草をしながら、歩きたいものです。あなたの人生なのですから。

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私の背番号は・・・?                 (平成12年1月)

将来日本でも、国民みんなに一連の番号を付け、コンピュータなどで扱い易くするそうです。みんながその番号の入ったIDカードという身分証明書を持っていれば、公共機関はもとより病院や買い物など自由に行くことが出来るのです。知らない町へ行っても、そのカードを見せるだけで、あなたがどのような人なのか、直ぐに理解してもらえます。
でも、ということは、あなたのあらゆる情報が何処かにあるということなのです。家族構成はもとより銀行預金から健康状態、先日買った洋服まで、全て何処かに記憶されているのです。
私の情報なんて価値もないし、関係ないんじゃないかと考えられている方、もし誰かがあなたの情報を悪意で利用しようとしたら、とんでもないことになりますよ。今でも時々クレジットカードが他人に使われ、多額の請求書がというニュースもあります。そうでなくても訳の解らないダイレクトメールが来ることは常識でしょう。自分がどのような人間なのかを、他人の方が良く知っているということも事実なのです。自分が誰なのかは、IDカードに聞かなければ解らない事になってしまうかも知れません。
でも、仏さまの世界へ行ってからは、困ってしまいます。そのようなカードには、仏になるための功徳は記憶されていないのですから。入っているのは俗世間の欲望ばかり。そのようなものは、仏さまの世界では通用しません。家族や財産・健康状態、そのようなことにこだわらなく生きることが、仏に近づく第一歩なのです。
皆さん、自分が何処へいってでも役立つ、心のIDカードを持ちましょう。他人に理解してもらう必要はありません。あなたが誰であるかは、仏さまには分かるのですから。

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@メールで恋文を                   (平成12年8月)

皆さん、恋文は、便せんにペンで、そして切手を貼って、赤いポストへ。彼は読んでくれるかな、と胸をときめかせ・・・
でも、今は携帯電話に向かって、話すのではありませんよ。小さなボタンを一生懸命押して、送信・・・ おかしな事になっています。電子メールの花盛り。携帯電話でおしゃべりなんてもう古いようで、メールと称する手紙のような文字を電話で、やりとりしているのです。
ファクシミリも使えない、あなたには、文字が電話の中を、行ったり来たり、何故でしょう、何故かしら???
でも、みんな日本語が大好きな、国民なのです。「今の若い者は、言葉を知らない」なんて、言われますが、どうしてちゃんと、捨てたものじゃありません。メールで自分の意志を伝える。早く確実に出来るのです。
やはり、お大師さまがお作りになったと言われる、「いろは・・・」の文字は素晴らしいのです。子供からお年寄りまで、自由に自分の考えを表現できるのですから。
奈良・平安の時代から、恋の胸の内を伝えるには、手紙なのです。巻物に書こうと、メールで送ろうと、関係ないのです。
本当に言葉には、いろんな意味を含んでいます。お大師さまも様々な書物で、言葉と文字の大切さを述べておられます。
これから先も、「いろは」を自由に使って、素晴らしい日本文化を、築いて欲しいものです。きっと大丈夫でしょう。
でも、老眼鏡は必需品なんですよ、手紙を書くだけでなく、携帯電話でも、これからは。彼からの恋メールの返事が読めなくては困りますから。

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I(いつも)T(楽しく)革命                 (平成13年1月)

皆さん、日本中でIT革命なんて騒がれています。中学生でしたら、これ・あれ・それ、代名詞かな?横文字も・・・なのに、略字なんてとんでもない。でも、インターネットや携帯電話なんかに関係しているのでは?ピンポーン、その通りです。
情報技術の革命だそうで、政府も一般の会社も、乗り遅れないように一生懸命です。情報を伝達する方法が、多種多様に広がって、日本中いや世界中どこにいても、様々な情報が飛び交っていて、それを何時でも得ることが出来ます。これから先、更に進んでいく情報の伝達方法を、いかに良くしようか、ということを議論しているのです。
皆さん、少しは分かって来ましたか。
でも、情報って何でしょう。自分の知りたいことだけ、分かれば良いのでしょうか。逆に知り得る情報の量が多ければ多いほど良いのでしょうか。情報ばかり気にして、画面に向かって、しかめっ面の毎日では、どうしようもありません。
でも、本当はそのような機械のお世話にならなくても、仏様の世界には素晴らしいITがあるのです。多くの仏様が、とても大切な情報をいっぱい発信しているのです。受け取る皆さんの心にも、立派な受信機があるのです。ただ、正しく受信出来ないか、受け取った情報を整理整頓出来ないでいるだけなのです。
心を豊かにして、いつもみんなが楽しく過ごせるような思いでいれば、きっと仏様の発せられる素晴らしい情報も受け取ることが出来るはずです。難しいことではありません。家族のことを思い、世界の人々のことを思い、仏様のことを思い、静かな心で毎日を送ることを考えてみて下さい。
最後にITとは、インフォメーション・テクノロジー(情報技術)です。でも、「いつも楽しく」もお忘れなく。

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パソコンって何でしょう?                (平成13年8月)

初心に帰ってささやかな疑問、パソコンって何でしょう。パーソナルコンピューター、個人的電子計算機。単なるソロバンの親玉です。
でも、電気屋さんに行くとそうは言ってませんね。何でも出来る素晴らしい情報処理機、文章を書いたり、様々なデータを保存したり、インターネットでショッピングが出来たり、音楽を聴いたり映画を見たり、エーと・・
でも、それは、あなたがパソコンを十分に使いこなせてから、という条件が付きます。講習会も花盛りで、みなさん一生懸命ガンバっています。「ポインターをアイコンに合わせてマウスのボタンをダブルクリック!」
(ここは日本じゃ日本語を使え)と、心の中で怒鳴ってみても、画面は一向に・・・。
自分の孫のような先生に、聞くのもだんだん恥ずかしくなり、私には向いてない。
しかし、本当はあなたは間違っていません。あなたの要求に応えないパソコンが悪いのです。何でも出来る万能の機械ならば、あなたの思っていることくらい瞬時に取り扱ってくれても良いはずです。
でも、それにはもう少し時間が必要でしょう。今はとにかく忍耐の一字、習うより慣れろの精神です。大事なことは、何が目的なのかをしっかり自分の中に持つことです。パソコンでも何でも所詮道具なのですから、使い方次第でどうにでも成るのです。こつこつ少しずつ進むことが何よりの近道です。
皆さまのお大師さまは、確かに天才的で全てに秀でた方です。でも夫れにも増して努力の方です。仏教だけでなく様々なものを吸収して更に大きく成られたのです。もし今、お大師さまがいらしたら、ご自分でインターネットも自由に操り、コンピューターを駆使し、真言宗を世界中に発信しているのではないでしょうか。
ひとつ、皆さんのパソコン画面のスクリーンセーバーに、お大師さまを入れてみてはいかがですか。きっと心も落ち着くことでしょう

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家族でメル友?                  (平成14年1月)

おじいさんが孫との共通の話題、それはメールです。老眼鏡でも見にくい携帯電話の画面に向かって、孫娘は読んでくれるかな?と一生懸命に文字を打ち込む。孫の女子高生は親指で簡単に素早くパッパッ・・・返事を返してくれるのです。おじいさんは大喜びで、おばあさんに見せています。何処かのCMでしたかね。
とにかく、今は恋人・友達同士は勿論、親子家族でもメールでコミュニケーションを図っているのです。言葉でお互いの意志を伝えるより、早く・短く・確実になのでしょうか。特に携帯電話でのメールは氾濫しています。中には、善からぬ内容のものや甘い言葉も送られて来るそうです。それらに全て対応していたら、とんでもないことになるのです。決して知らない人の誘いに乗ってはいけません。昔からそうですよね。会話は相手の目をみて話すもの、聞くもの。それが電話になって声だけ、更にメールでは、相手の本質なんて絶対分かりません。相手が分からないから本当のことが言えることもありますが、恋愛までなんてと思うのですが・・・
でも複雑な現代社会、不安や悩みでとても一人ではやって行けないのです。でも忙しい毎日、みんなで一緒に話し合おうなんてとても無理なのでしょう。少しの時間で連絡を取り合う、意見を言う。それはメールが最高な手段なのかも知れません。
でも、嫌になれば返信しなければ良い、最後の手段は電話を無くすれば相手との間柄も切れてしまいます。そこには、我慢するとか相手のことを考えるという行為が欠如し易くなるのです。意志を伝えると言うことは、決して一方通行ではいけないのです。相手のことを思う気持ちが必要なのです。一人きりだと思っていても、何処かで仏様が見てますよ。相手を思ってメル友になりましょう、おじいさんもお孫さんも仲良く。

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グローバルな「ものさし」          (平成14年8月)

 「イチロー」が快打し、「ダイマジン」が最終回を抑える。アメリカの野球大リーグの中継に日本でも拍手喝采。今、スポーツ界に限らず、若者達は日本を飛び出し、全世界で活躍しています。才能の有る人は、日本だけでなく世界中で通用することはあきらかで、スポーツ・芸術などの分野では、特に個人の実力が評価されるのです。
 グローバル化という言葉が叫ばれだしていますが、自分の仕事の範囲内でガンバっていれは良かった時代が終わり、情報社会が進み、様々な業種や世界各地で通用していかなければならないようです。グローバルスタンダードとかで、国際標準がどうだとも言われています。要するに、何処にいっても誰に対しても通用する「ものさし」が必要だということです。日本家庭のガンコ親父は、淋しい思いをするのでしょうか。イチロー選手の活躍のように、一芸に秀でていれば、それが世界標準となることは当然で、どこかの基準に自分が併せることは決してありません。でも、自分勝手な基準では世界には通用しません。世界が認めてくれるものでなければ、どうしようもない時代になってきているのですが、素晴らしいものであれば大丈夫なのです。
 自分の為ではなく他人の為に努力する、世界中の人の幸せを願うことは、仏様の大事な教えです。自分だけ良ければよい、自分だけ仏になろうなんてことは、決して仏教ではありません。みんなで一緒に仏の道を歩んでいくことが、グローバルスタンダードなのです。自分なりの人生を生きてく上で、物差しを持つことは必要で、一人一人同じ物ではないでしょう。他人の物差しで生きて行くわけにはいきません。でも、大きな意味での仏様の物差しは、忘れないでください。世界中の人が心豊かに暮らせる為に必要なものなのですから。

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借りた物は、返しましょう!        (平成15年1月)

 今の日本、銀行の不良債権問題で大騒ぎ、経済の先行きも全く分かりません。お金至上主義の世界を築いてきた誰かが悪いのですが。
でも、借りたお金は返すのが当然ですよね。返さなかったらドロボーです。しかし、返せないのが解っていて金を貸すのも悪い。もう少ししてまた昔のようなバブルが来ると返せるから待ってくれ。そんな議論をしているのかは解りませんが、「無い袖は振れぬ」のも現状のようです。困ったことです。それにより、関係のない方々の仕事が無くなり、みんなの生活が苦しくなるのですから。一度全てをリセットして、一からやり直しましょう、とはいかないのです。タイムマシンがない限り、過去へは決して戻れません。とにかく、先に向かって歩くだけなのです。
ここで、お金になかなか縁のない皆さんも、借りている物は多いのです。そうです。この世の中、様々な人に助けてもらい、そのお陰で生きていくことが出来るのです。決して人間一人では生活出来なのです。特に親切にされたこと、大事にされたこと、それは、あなたが親切をお借りしただけなのです。いつかは返さなければなりません。親切にして頂いた方に直接返すことが出来れば良いのですが、そうでなくても、他に人のために何かをしてあげる。お遍路さんの「お接待」です。あのお接待も、自分が受けた親切を見知らぬ他人にお返ししているのです。決して義務や強制ではありません。お大師さまのことを思えば、自然に心の中から出てくるのです。
お借りしたものは、いずれお返しする。その心を考えて下さい。そんな難しいことではありません。仏様のような優しい気持ちを、少しでも多く持つということではないでしょうか。借りた親切が、不良債権にならないよう、くれぐれも気を付けて下さい。

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癒し系のお大師さん!            (平成15年8月)

 最近のテレビCM、働き盛りのお父さんが、ふと可愛い小犬に心を奪われてしまう。何となく安らかになる。それを、今「癒し」というのでしょう。癒し系とか癒しの何々とか、言葉そのものもあちこちで眼や耳にします。
ぼんやりとして解りにくい言葉ですが、感覚的に何となく理解出来るようなものでしょう。個人差も多いにあり、人それぞれ心の中は複雑ですので当然のことでしょう。それでも、安らぎを与えてくれる対象物が必要なことは事実で、家の中でただボーとしていたのでは駄目です。また積極的に今の状態を分析して、理論的に取り組んで、バリバリ頑張ろうというのとも少し違います。特別症状のある病気というのではなく、何となくもやもやしたストレスがあるのは、現代人全ての人に共通することかも知れません。
本来そのようなストレスに対応するのが宗教かもしれませんが、宗教は何か取っ付き難く、深みにはまると怖いような印象をもたれ、直接関わりたくはないのかも知れません。
そこで、お参り特に霊場巡りなどに参加されることをお勧めします。特別信心深くなくても構いません。お寺の御本尊或いはお大師堂の前で手を合わせる。それを続けることで、何となく心が静まってくる。いやそんなことも感じなくてもよいのかも知れません。様々なお寺を順番に回るだけでも、普段の生活とは違った何かがあると思います。特に、四国八十八ヶ所霊場は、心の安らぎを感じてもらえるお寺巡りではないでしょうか。さまざまな自然に溢れた地域に、お大師さんの遺跡を訪ねる。余り深く考える必要はありません。ただ何となくも大事なのです。
お大師さんは、きっと昔から癒し系の代表なのではないでしょうか。

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笑顔をパチリ!                (平成16年1月)

 女子高生が携帯電話を上に掲げて振り回しています。また、友達同士で電話に向かってニッコリ。そう、電話に付いているカメラで写真を撮っているのです。最近の携帯電話はとても電話機とは呼びにくく多機能な情報処理機になっています。その中でもカメラ機能は凄まじく、何もそこまでと思うほどです。
 その昔、今からちょうど千二百年前、お大師様が今の中国に新しい仏教を求めて旅立たれる時です。もしかすると、もう一生会うことが出来ないとの思いもあり、御母上に心配をかけまいと、自分の顔を池に映し自画像を描いて残して行かれました。それは満月の夜で仏様が暖かく眼差しを注がれました。善通寺に残る大師像がそれです。
 カメラなど有るはずもない時代、お大師様のお母様は我が子に会えない寂しさの中、その一枚の絵に向かって、何を思われていたのでしょう。母を慕う子の気持ち、子を思う母の心、言葉ではないはずです。
 今の世の中、どんなに遠く離れていても、電話・メールだけでなく、瞬時に写真まで送れてしまいます。しかし、親子関係は逆に遠く離れていっている気がします。一緒に住んでいても顔を逢わせることもない家族も多いと聞きます。お互い顔を見て話し合うことの大切さを考えて下さい。一枚の写真に心を通わせる、逢いたくても逢えない方々も、またいるのです。
 元気でいる、ガンバっている、幾つもの言葉より、一枚の写真を見ることで、家族ならきっと分かり合えるのではないでしょうか。
 是非、家族みんなで笑顔の写真を撮りましょう。その笑顔を携帯電話で持ち歩くことも可能な世の中なのです。



お宝を発見?              (平成16年8月)

皆さん、自分だけの宝物はお持ちだと思います。他人にとってはガラクタの様な物でも、とても忘れられない思い出が詰まっている、大切なものがあるはずです。
しかし、最近は趣味が多種多様化していると言われ、とても訳の分からない不思議なものが、探し求めている人が大勢で、高値を呼んだり、テレビで紹介されたり、インターネットなどでも盛況です。オークションと言って、値段を決めて買い求めることも、何十億円という単位ではなく、数千円でも競っている場所もあるそうです。
価値というものは、欲しい人があって始めて決まる物です。有名な画家の絵も、最初からとてつもない高値であった訳ではありません。有名になり欲しい人が増えたからということが多いはずです。どんなに素晴らしい作品でもその価値を見いだす人が、また必要であるのも事実です。
しかし、そのために醜い争いになってしまっては、誰のため何のためのお宝なのでしょう。あの有名な絵も、決して何十億円で売ろうなどと思って描かれたものでは無いはずです。逆にそのような下心では良い作品は出せないのです。純粋な芸術であればこそ、みんなの心に感動を呼ぶのです。
仏さまは、皆さんの心の中に、大切な宝の珠が有ると言われています。その宝の珠をどのように表現するかは、個人個人で当然違っています。芸術だけではなく、普段の生活の中でも十分可能なのです。他人には解らなくても、その価値は、仏さまには分かっていると思います。
決して皆さん、心にある宝の珠を売りに出さないように。その価値は皆さんの中にあってこそ光り輝くものなのですから。

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記録より記憶に!                (平成17年1月)

 オリンピックの話でなく、デジタルカメラの他、CD・DVDなど十二センチ程の銀色の薄い円盤などが大流行です。沢山の音楽や写真、映画なども一枚に全て入ってしまします。更に最近は、何十時間ものテレビ番組が録画出来る装置もあります。見る時間がないからといって録画しても、いつ見る時間が出来るのでしょうか。
 観光旅行に行って、素晴らしい景色を写真やビデオに沢山撮って、家に帰ってから何の風景だろう、何処へ行ったのだろうと悩んだりする方がいます。時間とお金を掛けて観光するのですから、その場所でしか味わえない経験をすべきで、それが一人一人の記憶の中に残るのです。  感動するということは、決して眼からの情報だけではありません。耳や鼻や口、いや体の全体で、何かを感じているのです。心を含めた体の全てを使うということは、とても重要な事なのです。その素晴らしい一瞬を記憶することにより、表現できない感動が残るのではないでしょうか。それを記録できる電子装置はまだありません。人間の心の中でしか出来ないのです。
 人間は、事細かな部分まで記憶するこことは不可能ですし、その必要もありません。感動のあった一瞬だけでもよいので、後は様々な記録装置に任せることは容易いことです。
 心の奥底に残った感動という記憶は、時が経っても鮮明に蘇るはずです。直接、他の人には表現し難いことかもしれませんが、その記憶というものは、何らかの形で周りの人に影響を与え、別の感動を伝えることも出来るのです。
記録を残すのではなく、素晴らしさが記憶に残る毎日を送りましょう。

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地球にやさしく                   (平成17年8月)

 日本で久々の万国博覧会が開催され、そのテーマは「自然の叡智」で、地球環境を大切にすることです。ロボットなどの最先端技術にも目を見張りますが、自然への配慮も随所に施されているそうです。
しかし、地球の自然にとって一番害を及ぼし破壊しているのは、私達人間なのです。地球上から人間がいなくなれば、汚染のない綺麗な地球になることは明かではないでしょうか。人間にとって住みよい社会を築くために様々に地球環境を変えて来たのです。
 人間の欲望は、果てしなく広がります。しかも押さえることは、至難の業です。
マンモスは自然環境の変化で絶滅したのかもしれませんが、人間が絶滅するのかどうかは私達次第なのです。
でも、皆さん、今さら江戸時代の暮らしに戻ることが出来ますか。自動車だけでなく、ガスや電気のない生活は、とても不可能な考えでしょう。ですから、みんなが悩んでいる訳です。
確かに、あなたが住んでいる地球ですが、あなた一人のものではありません。みんなと仲良く暮らせてこそ、地球なのです。人間だけではありません。地球上のあらゆるものと共存出来なければなりません。
何故なら全て仏さまだからです。あなたも仏さまですが、山の草木も仏さまなのです。みんなで一緒に仏さまの世界を造らなければならないのです。仏さまの智慧と優しさをもって。それが可能なのも、人間ではないでしょうか。
自然の叡智とは仏さまの智慧なのです。
ロボットだけの地球にならないように、仏の智慧を結集しましょう。身の回りでも可能なことは、たくさん有るはずです。

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読み、書き、・・・!                 (平成18年1月)

 日本語の語学力の低下が叫ばれています。本を読まない子供が増えたとか、本屋さんで小説が売れなくなっているとか、漢字が読めない書けないなど、いろいろです。日本語の試験ではなくても、書かれている問題の意味が解らないのでは、答えようがないのではないでしょうか。
 昔も本を読むのが嫌いな子供は沢山いたと思いますが、その子供達は自由に野山を駆け回り、別の意味で自然から多くを学ぶことが出来ていたのです。
 現在は、情報は溢れるほどありますが、自分から積極的に求めることは少なく、あの四角い光る箱から垂れ流し的にやってきます。
 読んでいた小説などがテレビなどで映像化されたとき、何か違和感を覚える方も多いのではないでしょうか。
 江戸時代の寺子屋の時代から、教育の原点は「読み・書き・そろばん」と言われ、読むことが一番にきています。本などの文章を見たり聞いたりするのでなく、読むことで初めて自分自身の心に届くのです。様々な日本語に触れ、その言葉から感銘を受けたり、想像を膨らませることも可能なのです。
 お坊さん達は、毎日お経を読んでいます。難解なお経でも、心を静めて毎日毎日、声を出して読むことにより、その文字が心に浮かび、仏様の説法が聞こえてくるのです。
 お大師さまも言葉というものを非常に大切にされ、様々な書物で発声を伴った文字について多くを語られ、詩文の作り方や字典まで編纂されています。
 皆様、毎日使っている日本語を、もっと大切に感じてください。素晴らしい言葉が沢山あり、表現できるのです。是非、家族みんなで本を読むことを初めてください。

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栄光に向かって・・・!             (平成18年8月)

 スポーツ国際大会で、日本の選手の活躍が数多く報じられるようになってきました。オリンピックを始め、野球・サッカー・ゴルフなど多種多様の競技があり、テレビの前に釘付けになり、輝かしい栄光に日本中が沸き返る時もあります。
 それぞれの選手の活躍は、どれも素晴らしいものです。スポーツは参加することに意義があるとか、結果までの過程や努力が重要なのだとか言われます。確かに一生懸命に戦っている姿は美しいものです。しかし、やはり勝って欲しい、一番になって欲しいと願うのも人情です。そのプレッシャーに負け、普段の実力が出せない場合も多くあります。運命が左右する時も当然起こります。運も実力の内とも言いますが、それを乗り越え優勝することの素晴らしさは、誰もが認めることではないでしょか。ですから、世界中の人々の注目を集め、見ている私達も熱中することが出来るのです。
 でも、様々な分野で活躍されている方は、今は輝いて見えるかも知れませんが、初めからの才能だけではなく、普段からのもの凄い練習や他人には解らない努力があり、また種々の挫折を乗り越えての結果なのです。そして何より、打ち込む事の出来るものに対し、それを心から愛しているのです。栄光に向かって頑張ることの出来る喜びを、行動している選手自身が一番よく分かっているのです。そして、その努力も栄光も、仏様は静かに見守ってくれているはずです。
 世界の注目を集める選手になることは、難しいかもしれませんが、一人一人が情熱を持って取り組めることは沢山あります。そのことを心から愛することが出来て、様々な目標に向かって努力する。それが自分なりの栄光につながれば良いのです。

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団塊の智慧と知識             (平成19年1月)

 団塊の世代と呼ばれる人達の退職が世間で話題となっています。数が多いというだけではなく、技能の継承が語られています。  第二次大戦後の日本の高度成長を支えてきた人々で、特に技術大国の根底をなし様々な分野で活躍せれています。その技能の優秀さは、決して聞いて解る、見て納得するという問題ではなく、長年の努力により体得された技であり、現在のコンピュータを駆使した精密機械でも叶わない精度の物を造り、素晴らしい味わいのある工芸品を生み出しています。
 現在のマニュアル社会では、教えようのない、電子計算機でも解析困難な技能を、どのように次の世代に受け継いでいくかが叫ばれています。優れた技能を持った方を、特別の世界の人だと考えて、頼りきった結果ではないでしょうか。知識だけを教えても、不可能なことは沢山あるのです。
 現代の人は、他人と違ったことを目指そうと意気込みますが、何が出来るかさえ解らない自分に気付いてないのです。人間は様々な能力を持っている動物ではありますが、その能力を引き出すのは並大抵のことではありません。外部から得る知識だけでは無理なのです。新しいことにチャレンジすることも必要ですが、日々同じ作業を繰り返す努力が積み重さなり、素晴らしいものが生まれて来るのです。注目されている技能者の方々はそのような能力を磨いた方ではないでしょうか。その力を、教えて得る知識に対して、仏の世界では智慧と呼びます。
 仏様を信じることは大切ですが、頼りきることは宗教ではありません。皆さん一人一人が仏になれる要素を持っているのです。それを引き出す智慧を培うことが、仏様を信じることにつながるのです。急に大きなことは出来ません。毎日少しずつ、同じ事の繰り返しが大切なのです。

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メタボリック、心・・・・・             (平成19年8月)

 古今東西、昔から皆さんダイエットには興味があったと思いますが、最近メタボリック何とかが話題となり、お腹まわりに特に注目する情報があふれています。若い女性だけでなく中年以降の方々が特に気にしています。カロリーの高いご馳走や飲物をたらふく食べ、運動しなければ、体に蓄えられるのは当然ですが、生活習慣病になって長生き出来ないとなると、話は変わってきます。何とか楽な方法で健康な肉体を維持出来ないかと、虫の良い事を考えているのです。
 日本も長寿国になって久しいですが、病院の世話にならず長生きが出来て、最期に檀那寺の世話になれれば、それは良いことでしょう。突然の病気や怪我は病院に行かなければなりませんが、毎日の習慣が重なった病は、本人の努力に負うところが大きいと言います。生きていくということは、本当に難しことなのです。
 しかし、体の健康だけを議論してよいのでしょうか。確かに健康診断の数値は大事ですが、それを改善するには、心の作用が必ずあるはずです。食べたいのを我慢する、時間を見つけてジョギングをする、全て自分の意志でやっていることなのです。無理矢理でもいけないのです。
 五体満足と言いますが、真言宗では五大といって五つの要素でこの世の全ての物が造られていて、人間も同じであると考えます。それらが上手にバランスを保つことによって、人間の体も維持出来るのです。そして、その五つの要素の調和をとるのが六つ目の要素としての意識、心の作用なのです。ですから、体は故障するとは言わず、不調になるのです。
 お腹周りを計って一喜一憂するだけではなく、毎日の生活をどのように送るか、何を成すべきかを真剣に考え、一日一日少しずつ努力しましょう。

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空気は読めますか?             (平成20年1月)

 今の女子高生だけではなく、昔から、仲間達だけで分かる略語を使い楽しむ文化がありました。最近「空気が読めない」を略して英文字で使ったり、そのこと自体が、様々な世界でも話題になっています。当然、地球の周りにある物質的な気体ではありません。多くの人がいる場所での、全体の雰囲気を感じることが出来るかどうか、と言うことだと思います。確かに、場を和ませるのには必要なことかも知れませんが、余り神経質に成りすぎると、自分を見失ってしまうような気もします。この世の中、決して自分一人では生きてはいけませんが、個々の存在も大切なのではないでしょうか。
 空気の空は、決して空っぽ、無ではありあません。空という存在があるのです。ですから、皆さんがよく唱える『般若心経』に「色即是空・空即是色」とあるのです。昔からこの空をどのように観じるかが、仏教では大切な要素になっているのです。その空の気配を読むのですから、本当は大変難しい事なのです。決して多数決で数の多い方に合わせることではないのです。みんなが思っていることが、正しいことであるとも言えません。
 私達の大事な、お大師さまのお名前にも、空の文字が使われています。そう、「空海」上人です。このお名前は、ご自分で考えられたのではないかと言われていますが、どのようなお気持ちで、空を想われていたのでしょう。想像するだけでも楽しい気分になります。 お大師さまは、どのような場合でも、空気を読むというより、空気が造れる方でした。場面に応じ的確な判断が出来て、全世界のことを考え、私達を正しい方向に導いて下さる。本当は皆さんも、それを望んでいるのです。お大師さまの回りには、素晴らしい空気が生まれていたのです。そのような空気を読むと言うより是非、観じたいものです。

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地球を冷たく、心は温かく!             (平成20年8月)

 地球環境とりわけ温暖化の問題が各所で議論されています。異常気象だけでなく、生態系の変化など、様々な要素を含んでいるようです。私達の日本でも、確かに昔に比べ、夏だけでなく、暑いと感じることが多くなったような気がします。
 その原因は様々ですが、エネルギーの浪費が大きな要素をもっていることは、誰でも理解できます。しかし、どうすれば削減できるかは、みんなの努力しかないというのが現状のようです。急に電気やガス・石油を使わなくなる生活は想像できなく、徐々に少しずつの積み重ねが必要なのです。
 私達は、太陽の恩恵を受けて毎日の営みを続けていますが、そのことに感謝を感じなくなって来ているのではないでしょうか。暑いと言って、もし太陽が少しでも遠くにいってしまうだけでも、大変なことになるのです。人間の勝手な都合だけで、地球をダメにして良いはずがありません。
 真言宗の中心となる仏様は大日如来ですが、読んで字の如し、大きな太陽を意味しています。太陽のように優しく温かく、その智慧(ちえ)の光明を、何処にでも誰にも何時でも、降り注いで下さっています。仏の道を歩くことは確かに難しいことですが、仏様の智慧の光を受けているんだと信じることは、誰にでも出来るはずです。
 最近はまた、人間関係が冷たくなり、残酷な事件も増えていると言われます。これも仏様の温かさを観じられない人が増えているからではないでしょうか。仏様のことを思い、その智慧の光を受けて、心を温かく保つことは、地球環境を考える上でも、とても重要なことなのです。皆さんの出来ることも、たくさん有るはずです。

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子供を教え、育てるには!             (平成21年1月)

 ここ何年も教育問題、特に子供に対しての学校教育の在り方が議論され、さまざまな事柄が取り沙汰されています。教育とは教えるだけでなく育てることが重要だ、と良く言われていますが、教えることとは何かも問われているような気がします。本を読むだけで解るのであれば、誰も苦労はないのです。そこに先生と生徒との関係が生まれるのです。
 現代は全てマニュアルを作りたがりますが、言葉では表現できない教えというものもあり、相手に応じて変化しなければならない事も多く存在します。先生も生徒も、決して同じ心を持った人間はいないのです。
 仏教の世界では、先生と生徒つまり師匠と弟子との信頼が非常に大切です。インドで生まれ二千年以上信仰されてきた仏教は、師匠から弟子へ絶えることなく、その内容が受け継がれて来ました。そして、何を学んだかでは無く、誰に学んだかということが、とても重要なのです。仏様の教えを伝え弘(ひろ)めていくことが大事なのですが、お経を読んでの勝手な解釈は許されません。いくら優秀な人間でも師匠に教えてもらって、始めてその真価が出て来るのです。ですから、素晴らしい師匠と出会うこと、優れた弟子を育てることが、仏教の存在価値の一つなのです。
 そのためには、仏様の教えを守ることですが、その最初に慈悲の心があります。相手を慈(いつく)しむ、即ち大切に思うと同時に、相手の悲しみを自分の悲しみとすることが出来る、そのような心を常に抱いて接するところから、本当の師匠と弟子との関係が生まれてくるのです。お互いに相手を思いやり悲しみを分かち合う。そのような信頼関係の中から、先生が生徒を教え育てる意義も出て来るのです。その生徒が、次の時代の先生になるのですから。

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いまだ、かつて有らざる!             (平成21年8月)

 昨年より世界的な経済の落ち込みにより、百年に一度、未曾有の不況であると言われ、働きたくても働けない方が多く、皆さんが将来に不安を抱えているのが、現状ではないでしょうか。
 そのような中で、経済とは直接関係の無い、「未曾有(みぞう)」の漢字が正しく読める読めないで、世間を騒がせたことがありました。日本語では、母音を重ねたり子音を重ねたりする発音が苦手なのです。
 元来、この「未曾有」は仏教用語で、仏教辞典によると、「仏に関する神秘不可思議なこと、仏の功徳の偉大さを讃歎すること」とあり、経典に出て来る言葉です。漢字を訓読みにすると、「未(いま)だ、曾(かつ)て有らざる」ということになります。仏様のことを指すのですから、本当は良い状況に使うのでしょうが、現在は悪い事柄に、多く使用されているようです。
 言葉はともかく、日本だけでなく世界全体が経済的に苦しんでいる中、欲を少なく我慢しろと言われても、限界があります。なんとか皆で一緒になって生きていく工夫が叫ばれていますが、特効薬はありません。
 「少欲知足」「我慢」も仏教用語ですが、毎日の生活に不安を抱えている中では、仏教などの宗教によって、ゆとりを感じ、心豊かな生き方を探求することは、難しいことかもしれません。それでも未来に希望を持って、楽しい日々を過ごすことを考えて下さい。そして心の温かさだけは持ち続けてましょう。
 仏様に感謝する心を大切にして、みんなで仲良く助け合って生きていくことは、やはり重要な事なのです。全ての仏様は、未だ曾て有らざる、素晴らしい存在なのですから。

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チェンジをするのは?             (平成22年1月)

 世界中、特に政治の世界で「チェンジ」が声高く叫ばれて来ました。実際に様々な改革がなされてきているようです。人間だけでなく様々な生き物が安心して、暮らして行ける世界が訪れれば最高です。
 私達は、日々の生活に追われ、心身ともに疲れ、何か新しい良い生き方に変えられないかと悩むことも多くあります。しかし、その特効薬のようなものは、すぐには見つかりません。他人のせいにする、社会が悪いと言っても、解決する問題ではなく、更に多くの人を不幸に巻き込むだけなのです。
 テレビゲームのように、失敗するとリセットして、新しいゲームに取り換えることなど、人生では考えられません。いくらチェンジしようと思っても、今まで生きてきた全てをゼロにするほど、先の時間も残ってはいません。また逆にもったいないことです。変えるべき必要性があるのならば、何を変えて、何を変えずに残していくかの取捨選択の問題なのです。そこから、新しい取り組みに入るべきで、闇雲に何もかも全てを新しくしても、また同じ失敗を繰り返すだけです。
 今の状態で何が悪いのか分析することから始めることが大事なのです。病気ならばお医者さんに診てもらう、仕事のことなら上司や仲間に意見を聞く。そして心の悩みならば、宗教者に相談する。仏教に限らず、宗教で語られてきている様々な教えは、決して古い物ではありません。言葉をかみ砕き現代的に要約すれば、現在の生活に密接に関わっているのです。お大師さまも、たくさんの教えの御言葉を残しておられます。きっと皆様の悩みに、様々に役立つはずです。お大師さまは、千二百年前の日本の宗教を「チェンジ」された方なのですから。

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毎日をエコで暮らすには!             (平成22年8月)

 最近はやりの「エコ・・・」、もともとはエコロジー(生態学)ですが、現在は人間を含めた自然環境の調和について考えることを、意味しています。即ち、地球の環境を守るために、私達に出来ることは何なのかということです。燃費の良い車であったり、太陽光などの自然エネルギーを使う住宅であったり、その取り組みは様々です。
 酸素を二酸化炭素に変えることは、誰にでも出来ますが、二酸化炭素を酸素にすることは、現在、植物の光合成だけでしょう。ですから、植物を増やすか、二酸化炭素を出す量を少なくするか、方法は余り無いのです。
 科学万能とはいえ、世の中の全てが、科学で解決できる問題ではありません。毎日を豊かに快適に生活しようとすることが、地球に無理を強いていることになるのです。でも、我慢ばかりしていては、息苦しくなってしまいます。
 私達人間は、様々なことを考える能力があります。実際に無いことでも、心の中に思い描くことが出来ます。食事をしなくては生きてはいけませんが、豪華な食べ物でなくても、心を豊かにすることは可能です。贅沢な生活とは、沢山のお金を使うことではありません。世界中の人々を始め、生き物全ての幸せを願うことほどの贅沢はありません。それが、仏様が望んでおられることなのです。
 仏様のことを信じ、仏様の世界を大切に思うことで、とても豊かな気持ちになることが出来るのです。一人一人が心の豊かさを、少しずつ考えていくことにより、今までの生活での本当の無駄な面が、見えてくるのです。
 地球にも優しく、幸せな気持ちにもなる、エコな暮らしを考えて下さい。 

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                         みんなで幸せな長寿を!              (平成23年1月)

 本来、長生きは素晴らしいことです。しかし昨年来、行方不明のお年寄りの話題が世間を騒がせ、戸籍上で二百歳近い方もいたようです。
単なる法律上の事務手続きミスであればよいのですが、長寿大国日本の名誉が揺らぐ事件です。
 人間は一人では生きてはいけません。生まれてから、数多くの方と御縁をいただき、お世話になり、助け合っています。
家族だけでなく友人や近所の方々、様々な方とつながっています。それなのに誰にも知られることなく、葬儀もなしに、この世を去ることは寂しいことです。
仏教徒であれば、お坊さんに読経をお願いして、家族知人に見守られ、安らかに仏の世界に旅立ちたいものです。
 生物学上では、動物としての人間の最高年齢は百二十歳ぐらいだそうです。干支で示すと、還暦を二回迎えることになります。今年は、卯(うさぎ)年です。
十二支を始め季節の変化を示す事柄など、暦は古来から受け継がれている東洋の智恵なのです。
 長寿は当然大事ですが、どのように毎日を生きていくかが、本当は大切なことなのです。
自分だけが幸せに成ればよい、他人はどうでも良いなんてことは、決して通用しません。みんな仲良く一緒に暮らせる世の中が素晴らしいのです。今までのご先祖様に感謝し、これからの子孫の幸せを願うことも重要です。その為にどうすれば良いかを指し示してくれるのが、宗教であり、仏様の教えなのです。
人によって様々な考え方があるので、数多くの教えが生まれてきたのです。
しかし、どの教えによっても目指すものは一つです。幸せな生き方をして、幸せに長生きをして、そして、仏になる道を歩むことです。


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