<安住院多宝塔ー概要>
→戻る

瓶井山禅光寺安住院 多宝塔(尊勝宝塔)
(みかいさん・ぜんこうじ・あんじゅういん  たほうとう)

(岡山県重要文化財指定昭和31年4月1日)

元禄年間、岡山藩主池田綱政公が後楽園の借景として建立に着手。次の藩主池田継政公の時代に完成した。岡山県下2番目の規模であり、「見かえりの塔」とも呼ばれている。

正式には、「尊勝宝塔」と称す。それは、創建の棟札からも明かである。
尊勝宝塔とは、御本尊が尊勝曼荼羅三尊像を祀るからであるが、安住院多宝塔がその形式になった由来は不明である。
一般に多宝塔は、法華経のなか多宝仏により表現され、天台宗伝教大師が法華経とともに普及に努め、釈迦如来・多宝如来を祀るとされる。真言宗においては、弘法大師が大日如来の象徴として、宇宙全ての存在を表現する五輪塔を、日本に於いて現在の多宝塔の形式に表現され、高野山金剛峯寺の大塔を建立された。その後、密教寺院では、大日如来を祀る塔が多く建立されている。よって多宝塔の形式は日本独自の建築様式である。そして、高野山金剛峯寺の伽藍に建つ大塔・西塔・東塔の中、東塔は御本尊尊勝仏頂に不動・降三世明王であるが、江戸時代に焼失の後、御本尊も含め再建されたのは昭和59年である。
尊勝曼荼羅で特に大日・不動・降三世の三尊像を智証大師御請来の様式と呼ぶが、その様式の仏像は珍しく、大阪・河内長野市・天野山金剛寺御本尊の国宝三尊像が有名であるが、他には余り例を見ない三尊像形式である。

安住院は瓶井山禅光寺の本坊であり、禅光寺は天平勝宝年間、報恩大師の創建である備前四十八ヶ寺の一つであり、醍醐寺の聖宝尊師により第一の中興、増吽僧正により第二の中興をなす。当時は七堂伽藍を有して、瓶井寺と称されていたが、文明十年(1478)の火災により、仁王門を除く全ての堂宇を焼失してしまう。その後、本堂は慶長六年(1601)に再建されるが、他の堂宇は江戸池田藩の時代に移ってからのこととなる。

瓶井山・今の操山の中腹に建つ多宝塔は、元禄七年(1694)岡山藩主池田綱政公に再建を願い出、公は名園後楽園の遠景・借景として着手し、次の藩主継政公の代、寛延四年(1751)に完成の、江戸時代中期の塔である。

(建築様式)
総高20m、宝形造、本瓦葺、初重と上層とは白色漆喰亀腹で繋がり、木割が太く雄大な規模は岡山県下2番目のものである。
初重は三間四面で軒の周囲に付けた庇(ひさし)を設け、組物は和様の二手先で尾垂木を出し、支輪、軒天井をかける。四面の各中央の間に置いた蟇股の彫刻は、南面が朱雀、西面に白虎がみえる。四面に擬宝珠高欄の縁を巡らし、東西北に石段を設けている。四面の入口には桟唐戸を入れ、その両側は連子窓をはめている。
内部は中央の一間四方を内陣とし、その周囲を外陣とする。内陣の須弥壇には大日如来を安置し、脇に不動・降三世明王を祀る。
上層は初重の上に漆喰塗りの亀腹を造り、組高欄を巡らし、12本の円柱を立てて円筒形の軸部を組み、宝形造りの本瓦葺の屋根で受けている。軒は二重扇垂木で、組物は平で三手先、隅で四手先に組んで、深い軒の出の屋根を支えている。中心の柱は初重の天井から塔頂の青銅製の相輪に達している。相輪の高さは約5mである。
また後楽園の借景としてだけではなく、岡山市内のどの方向から見ても美しい点景と言われ「見かえりの塔」とも呼ばれて、親しまれてる。


(御本尊)
◎尊勝曼荼羅三尊像(智証大師御請来の様式)
中央・・・金剛界大日如来座像、脇・・・不動明王座像・(二臂)降三世明王座像
須弥壇・来迎壁あり。

(構造)
◎三間多宝塔・本瓦葺
◎総高・・・19.97m
◎桁間×梁間・・・5.67m×5.67m


(創建)  寛延四年(1751) 棟札
(修復)  文化10年(1813) 棟札
     明治15年(1882) 棟札
     明治39年(1906) 棟札
     大正15年(1926) 棟札
     昭和36年(1961) 棟札
     平成22年(2010)


→戻る