安住院について
About ANJUIN
概要
住所 | 岡⼭県岡⼭市中区国富3丁⽬1-29 |
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宗旨 | 真⾔宗(しんごんしゅう) |
本⼭ | 善通寺(⾹川県善通寺市) |
御本尊 | 千⼿観世⾳菩薩 |
御真⾔ | おん ばざらたらま きりく |
御詠歌 | ひるはなほ よるをもてらす ぜんこうじ いくよもきえぬ のりのともしび |
歴史
奈良時代(天平勝宝年間749〜756)名僧「報恩⼤師」によって禅光寺は創建されたとされ、
⼤師が建⽴した備前48ヶ寺の⼀つであり、安住院はその本坊にあたる。
創建後、栄枯盛衰を繰り返すが、平安時代(延喜七年907)醍醐寺の僧「聖宝」により第1の中興をなす。
次に室町時代(応永二年1395)「増吽」僧正が遊践して第2の中興をなす。
しかし、戦国時代(文明十年1478)⽕災に遭い仁王⾨を除く全ての堂宇を焼失。
翌年本堂は再建されるが隆盛はなく、安土桃山時代(慶長六年1601)新しく⼊した岡⼭城主・⼩早川秀秋公が願主となって本堂を再建した。
戦国時代には宇喜多秀家公・⼩早川秀秋公、江⼾時代には池⽥光政公を初め池⽥家累代の⼤名からの庇護により、
⼭内に⼗数ヶ寺の塔頭寺院を存続させ、この地⽅における真⾔宗の中⼼的勢⼒として栄えた。
秘仏本尊(千⼿観世⾳菩薩)は、報恩⼤師が平井の浜で海上に光る霊⽊を発⾒され、これを彫刻して本尊にされたと、言われる。
本尊を刻んだ際「修禅光明滅無明安住浄菩提心」と言い、これが寺号・院号の由来となったと伝えられている。
歌⼈・与謝野鉄幹の安住院滞在
明治時代の歌壇で活躍した歌⼈・与謝野鉄幹(1873〜1935)が、明治19年(14歳)ごろ、中学受験のため⼀年余り安住院に寄寓した。当時の住職「和⽥⼤円」僧正は鉄幹の兄であった。
会陽(裸祭り)
安住院の会陽(裸祭り)は歴史が古く、記録によると安土桃山時代(慶長六年1601)より裸体になったとあり、明治3年(1870)まで続いていた。
⻯の⾆
⻯の⾆という宝物があった。これを⿓王堂の古池で洗うと必ず⾬が降ったと⾔われており、この古池(清泉)は瓶井⼭の語源ともなった。
内⽥百間の墓
本堂から多宝塔に上がる途中に、「阿房列⾞」でも知られる岡⼭⽣まれの⽂学者、内⽥百間(1889〜1971)の墓がある。
年間行事
期間 | 行事 |
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1⽉17⽇ | 初観⾳法要(当院本堂にて) |
3⽉ | 彼岸 |
6⽉15⽇ | ⻘葉祭り(岡⼭結衆法要)*弘法⼤師降誕会*輪番制 |
8⽉ | 盆経 |
9⽉ | 彼岸 |
12⽉31⽇ | 除夜の鐘(当院鐘楼⾨にて) |